先日友人が「自分の検索サイトでAIを使ったお勧めコンテンツに支配されている」と嘆いていました。そこで僕は東浩紀の「弱い繋がり」という本を読んでみては、とお勧めしました。
しかし検索サイトで自分へのお勧めコンテンツの羅列を見てお勧めされた側がそのコンテンツ群に違和感を感じるなんてお勧めしたAIもまだまだだなあ、なんて思い一人で苦笑いしてました。しかし他方で10年20年と時代が進むにつれてそういった違和感すらも感じなくなるのだろうかと思ったりもします。つまりそんな違和感すらも飲み込み、とても自然な形で何かをお勧めする。つまりAIにこちら側が支配される時がいつか来るのかも知れません。一瞬空恐ろしい感覚を覚えますがまあその時は何にも違和感がないのでその人はそれはそれで幸せなのでしょうか。
人は見たいものしか見ない、なんて言葉をよく聞きます。これって何も今に始まったことではないと思います。インターネットが隆盛する遥か昔から人間が繰り返してきた過ちであるように思います。先日このブログでも紹介したトンネリングといったものもその最たるものだと思います。
人は誰もが承認されたい、承認にしてくれる人を探します。そうした時にインターネット検索は簡単に自分の考えが正しいと承認してくれます。理由は簡単です。自分の考えの答えについて、しかもその答えが正しいと示してくれているサイトを検索するからです。そうして自分を慰めて胸を撫で下ろします。そしてまた似たような内容の検索をします。
僕はなにもインターネットそのものを批判しているわけではないのです。寧ろこの先インターネットで情報を収集しないとその情報収集する能力によってあらゆる格差が生まれると思います。そうではなくて自分で主体的に考え動かないと全て何かに規定されてしまうのではないのかと思うのです。
そして話が最初に戻るのですが冒頭で紹介した東浩紀さんの「弱いつながり」という本はその主体的に動くことな大切さを教えてくれます。検索ワードを探す旅に出ることがこれから先回りしてくるインターネットの力に対抗しうる術だと教えてくれます。検索ワードを探すという行為がインターネットが規定してくる何かを上書きし、新たに更新する方法なのではないでしょうか。
自分の見たくないものや体験したくないものを教えてくれる方法は外に出るしかない。そして一期一会の出会いに触れ、新たな発見をする。そうやって学んでいくしかない。そしてそれについてインターネットで検索すればいいのです。それを教えてくれる本だと思いました。もしご興味のある方は是非読まれてみてはいかがでしょうか。
そして検索ワードを探す旅に出てみましょう。
今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
朝夕と少しずつ涼しくなってきましたね。読書にはぴったりの季節です。
経済的に自由になるためには読書も欠かせません。これからも読んだ本の話をぼちぼちしていけたらと思います。
ではでは。
つづく。