インターネットの発達によって #220

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インターネットの発達は“中抜き”を無力化させるとよくいわれました。つまり最初の商品提供者と最終商品消費者を結ぶことが可能になったのです。それまでは時間的隔たりや場所的隔たりなどといった隔たりがあって、その隔たりを埋めるために仲介する者がいました。例えば卸市場だとか例えば本屋さんだとか果物屋さんだとかです。そういったいわゆる目利きのプロと呼ばれる人たち間に入って何が良くて何が良くないかを消費者に伝え、そしてその手間賃を得ていたわけです。間に入っている人たちが得ている給料は手数料という名の手間賃なのです。そして商品にその手間賃が乗っかっているのです。

 

しかしその間に入って手数料を得ている人たちは本当に必要なのでしょうか。もし仮に最終商品消費者が最初の生産者に直接買うことができれば間の手間賃は一気に省かれることになります。もちろんそれに伴って商品に乗っかっていた手間賃代も引かれるのでしょう。なぜなら無用にその手間賃を乗せていると誰かが抜け駆けして手間賃分を引いてしまうと価格競争で負けてしまうからです。

つまりインターネットというのはどんどん商品から無駄な費用を省いていくわけです。そして値段はどんどん安くなっていきます。

 

少し前にリフキンの『限界費用ゼロ社会』という本が流行りました。何年か前に読んだ本なので正直本の内容を覚えていませんが限界費用がどんどんゼロに近づく社会というのはつまり先ほど述べたインターネットの発達による費用の低減のことだと思います。

中抜きが行われると物が安くなりそして現在のサブスクリプションが発達する流れになるのです。定額でお金を払えば本が何冊か読み放題になり、映像コンテンツや音楽コンテンツをたくさん得ることができます。そして今もなお定額サービスはどんどん広まっていきます。いずれこのブログでも書きたいと思いますがMaaSなんてのもこの流れでしょう。

 

商品やサービスの値段が下がっていくということは本当は格差を縮めるはずです。なぜならお金を持っていなくては得られないサービスをどんどん安くしていくからです。高いお金を出さなければ得られない学習も探せば無料で受けることもできるはずです。現に世界の格差はどんどん縮まっています。

ではこの日本ではどうでしょうか。貧しい人たちはこういったインターネットの恩恵を受けることができているのでしょうか。お金持ちとそうでない人たちの格差は縮まっているのでしょうか。

インターネットがまだまだ世界を変え始めたばかりであるのならばより良い世界に変えて欲しいものですね。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

物の値段が安くなるということは消費者にとっても生産者にとってもきっと良いはずです。一番困るのはなか抜きをしている人たちなのではないでしょうか。

ということでやはりインターネット社会になると仕事はどんどん減っていくはず、なんですけどどうなのでしょうか。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日になりますように。