人間起きて半畳、寝て一畳、天下取っても一合半 #219

f:id:toushiblog:20190223054833j:image

ある時ホリエモンがインターネットの隆盛によって“家族観が新しくなる”といった内容をどこかのラジオで言っていました。つまり昔からある男性と女性が結婚して子どもが産まれて、そしてその子どもを育てる、それ自体がもう当たり前ではなくなると言うのです。そしてそのホリエモンの話の聞き手をしていた東浩紀さんの返しが面白かったです(というか“堀江貴文×東浩紀”という組み合せがすごい)。

東さんが言うにはその“家族観が変わる”というのは昔から言われたいことでずっと昔の文献などを見ると時代が変わるたびにいつも家族観が変わるとか同じようなことを言っている人が必ずいる、というのです。

 

まずここで誤解して欲しくないのは今回のブログで僕が言いたいのは家族観云々の話がしたいと言うわけではないのです。またそれはそれで別の話です。

そうではなくて僕が言いたいのは“今も昔も同じようなことを考える人が必ずどこかにいる”ということなのです。多分このブログの内容もきっと、というか当たり前ですけどオリジナリティなんて無くってずっと過去を遡ってそして世界中見渡せばどこかの誰かが同じようなことを言っている内容なのです(ものすごく抽象的で概念的になってしまって申し訳ないです)。

 

また別の角度からイケハヤさんが無料メルマガで似たようなことを言っています。自身も含めて結局周りのみんな同じことを言っていると言うのです。

まあそれはそのはずで人間がどう生きたらいいかだとかどうすればいいのかだとか何が問題なのかって多分突き詰めていくとそんなにバリエーションが無いんですよね。もうどうやって人間生きていけばいいのかって多分同じで、それを手を替え品を替え発信しているだけなのだと思うのです。もちろんこの僕の意見はものすごく乱暴な意見だと思います。でも当たらずも遠からずだと思うのです。

 

まあ言ってしまうと人間なんてものすごく俯瞰して見ると同じことを言っているし、同じことを繰り返しているし、たいして変わりが無いということなのかもしれません。だとしたら僕という人間はどう生きたいけばいいのでしょうか。このブログを読んでいる方はどう生きていかれるのでしょうか。正直僕は結論が見えていません。

“人間起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半”という言葉があります。どうやらこの言葉は「贅沢は慎むべきだ」という戒めのために使われているらしいです。だけど僕にはそうでは無くて別の意味に聞こえます。

それは“人間なんて大きな差は無いよ”そう聞こえるのです。

そう、人間なんて今も昔もたいして大きな差なんて無いのです。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

僕は何もなにかを諦めているわけではないのです。むしろポジティブにとらえています。人間なんて大差がないならそれこそ、というかだからこそ僕は僕らしく生きていけばいいと思うからです。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日になりますように。