承認欲求を求めすぎないようにする #1182

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ここ数日間でいろいろなことがありましたよね。具体的に何があったのかは敢えて触れないようにしようと思うのですがそのあった“何か”というよりもその何かの原因についていろいろ思いました。なぜこんな極端な行動に走ってしまったのかというと宗教絡みだという話もありますがやはりその人の年齢を見るとどうしても“イケていない自分”を政治のせいにしてしまいがちな年齢なのかなと思いました。年齢的に今が四十代ということはインターネットが出てきてSNSを使い始めた頃がちょうど二十代中頃から後半の頃なのだと思います。

 

そしてここからは自分の経験になるのですがやはりSNSというものは自己の承認欲求をものすごく“もてあそぶ”ツールだと思うのです。いいねやフォロワーの数がはっきりと現れてその数の過多であたかも人間の価値を決められたかのように錯覚してしまいます。そしてそのいいねやリツイート、フォロワーを手軽に稼ぐために極端な話をしたり誰かの足を引っ張ったりするわけです。しかしそれでもいいねやフォロワーが増えないとどんどんその人は先鋭化していきます。数字は誰かと誰かを比べます。そして更に承認欲求が満たされないと別の何かのせいにしたり自分よりも不幸な人を見つけたりもっと極端な行動に出たりするのだと思います。

 

いまの大きな事件の犯人がどのような動機やSNSを使っていたのかはわかりません。もしかすると自分は全く見当違いの意見を述べているのかもしれません。しかし自分はそのニュースを見ていてそして自分なりに考えてそして自分が気をつけるべきところはそういうところだなと思いました。あとそれにまつわる憶測や反論やエトセトラを見ていて思ったがのでした。

承認欲求を求めすぎることはしない、そしてインターネットからしっかりと距離を取って今ある日常に目を向ける。それがとても大切なことだと思いました。

 

かつては自分も承認欲求を求める人間でした。しかし自分はSNSがうまく使えずインターネットの世界からは承認されませんでした。けれどそのニュースを見てそしてTwitterの中の様子を見て離れなければいけないなと思ったのでした。承認というものは求めすぎてはいけない、インスタントに手に入れることのできるものではない、そう思ったのでした。

このブログは投資のブログです。最後に投資について少し絡めると投資は自己責任です。その自己責任が良かったのかもしれません。お金を何に使うのかは結局自己責任ですしもっというと自分の時間を何に使うのかも自己責任なのです。

自分はインターネットに出会いました。そしてインターネットで何かしようとしたけれど結局うまくいかなかった、しかしそれは誰が悪いのでもなく自分の責任なのです。繰り返しになりますが承認欲求を求めすぎない、インターネットとちゃんと距離を取る、そして目の前にある現実をちゃんと見る、それをここ数日から学んだのでした。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

最後の学んだことに“承認欲求を求めない”ではなく“求めすぎない”としたのは自分自身を弱い人間だと理解しているからです。ですから全くの禁止にするのではなく、それって危険な行為なんだよと注意しつつほどほどにしようねとしたのでした。禁止にするとそれを破った時に自分を責めてしまいますからね。そして嫌になってしまいます。そうではなくて承認欲求を求めても何にもいいことなんか無いと自戒して気をつけるようにしたいと思います。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日となりますように。