生き方は人それぞれ #295

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10代でYouTuberになった人がネットで叩かれているようです。僕が感じたのは“正直どうでもいい”ということ、そして日本は平和だな、なんて思ったりもしました。だけどそんなことをひとしきり考えた後で思ったことは昔に似たような話があったよなあということです。

ちなみに10代でYouTuberになった人がなぜ批判されているかというと、そのYouTuberくんはどうやら不登校でその事に対して批判している方々が憤っているようでした。まあよくわかりませんがYouTuberでお金を稼ぐことよりも学校へ行け、ということなのだと思います。

 

そんなことは余計なお世話だと思うし、他人に迷惑さえかけなければその人の人生だから好きにすればいいのになんて思ったりします。ちなみに僕はこの先もYouTuberがずっと食べていけるかは疑問です。だけどその子が学校よりもYouTubeで動画を撮ることの方が楽しいと思ったのなら楽しいと思う方をすべきだと僕は思います。つまんないと感じる勉強を嫌々やることに一体なんの意味があるのでしょうか。多分縄でくくって教室に引っ張っていっても勉強なんてその子はしないのだと思います。

学校側はYouTubeで動画を撮るよりも楽しいと思わせることに負けているわけで、まあ仕方ないよなと思ったりもします。

 

最初に昔、似たような話があったよなと思ったのは宇多田ヒカルがテレビにで始めた頃です。10代で歌手デビューしましたが、宇多田さんのあのあっけらかんとした性格を当時の周りの大人たちは「挨拶もできないのか」だとか「10代でお金持ちになるよりも学校で学ぶことの方が大切だ」なんてことを言ったりしていたのを覚えています。

その時“正論らしきこと”を言っている大人の人に僕はなんだか違和感をおぼえました。僕は宇多田ヒカルのことがものすごく好きだとは思わないけどなんとなくザラついたものを感じたのです。

 

変なことを言うようですがもう真面目だとか一生懸命“だけ”で何かが、どうにかなる世界は終わったような気がします。語弊があるかもしれませんがそうではなくてたくさん考えて且つ正面も、もしくは搦め手からも色々な角度から攻めないと生きていけない世の中にもうなっているのだと思います。

YouTuberくんがどんな風に育つのかはわからないですけど彼の生き方や人格を否定するのではなく、その彼が作ったYouTube動画がどう評価されるかでその彼の人生が評価されるようになって欲しいと思いました。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

僕には何が大切で何が間違っているのかなかなか軽々には言えないと思います。そしてこんな記事を書いておきながら思うのは、その10代YouTuberくんの周りでウロチョロしてるYouTuberやbloggerの方が正直終わっていると思いました。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日になりますように。