結局不景気とはなんだったんだろうか #943

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投資をしていて新型コロナとは一体なんだったのか少し考えさせられます。というかそもそも不景気とはなんだったのかそんなことを考えます。今回の新型コロナとその他の不景気と違う面も多くあります。堀古氏の言葉を借りると今回の新型コロナは需要の先送りであってこれまでの不景気の需要の先食いとは違う、確かにそうかもしれません。

しかし思うのはこれまで非効率だったものがどんどん効率化していくそれが不景気というものに共通していることのような気がします。不景気が起こるとどうにかしてその不景気を打破しようとします。すると無駄なものにお金を払う余裕がなくなってくるわけです。

 

店で物を買うのが非効率であればどんどん淘汰されます。すると店側はあらかじめインターネットで注目を受けて店舗ですぐに渡すように工夫をします。例えばクルマを降りて店に入ってそして車まで持ち帰るという一連の動きが非効率だと考えれば車で店舗に横付けして窓から商品を受け取るといったこともします。私は子供の頃それを初めて見た時、子供心になんて横着というか行儀が悪いんだろうと思って見ていました。まあ“ませた”子供だったわけですがしかしおそらくそれが効率が良かったわけなんですよね。行儀とかそういうことではなくていかに利益をあげるかそうやってどんどん効率化していくわけです。

 

非効率を捨てて効率化を目指す、そうやって不景気を脱していくとするとでは非効率に生きている人は切り捨てられるのかというと残念ながら切り捨てられていく気がします。確かに非効率に生きていくだとか無駄に生きていくということのなんとなくの大切さもわかります。しかし実際に目の前に起こっていることから脱するためにはどんどん効率化していかなくてはいけないのです。それが資本主義であり目の前に起こっている事実なのです。人も物も非効率を抱える余裕が無くなるのが不景気なのだと思います。

 

では自分が非効率の側にまわってしまった時どのように突破すれば良いのでしょうか。自分が考える答えはやはり効率的に動く方法を自分なりに考える必要があると思います。それは特別ドラスティックに変える必要はないと思います。少しずつ少しずつ非効率を減らして効率的にしていけば良いと思います。それは自分の仕事もそうですし普段の生活もそうです。

もしくは公的なものから力を借りるのも手段の一つだと思います。自分が効率化の波について行けずにそこから脱落してしまった場合公的なものが本来は助けてくれるはずです。ただこれには欠点があって公的なものは本当にあてにならないということです。必ず助けてくれるなんて保証はないですしたとえ助けてくれても最多限しか助けてくれません。

やはり自分の力でいかに非効率を効率化していくのか考えて実践していくのが正しい道のような気がします。

今日もブログを読んでいただきありがとうございました。

普段の生活の中で確かに非効率や無駄を愛することも必要かもしれません。しかしそうやって非効率だらけにしてしまうとどんどん良くない方に向かっていってしまうと思います。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日となりますように。