全く見ず知らずの人と人狼ゲームをして #285

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先日オンラインコミュニティで知り合った友人と名古屋にある人狼HOUSEに遊びに行きました。人狼HOUSEというのは人狼で遊びたいという人たちが集まって人狼ゲームを遊ぶという場所です。そこにはふらっと立ち寄って遊ぶ人もたくさんいて当然のように見ず知らずの人遊ぶことがあります。その日、僕たちは4人の仲間と行きましたが、それ以外の人たちは初対面の人もいれば以前一緒に人狼ゲームをしただけでそこまで深い仲ではない人もたくさんいます(そもそもそのオンラインコミュニティで知り合った仲間も初対面の方たちばかりです)。

 

そうやって見ず知らずの人たちとゲームをするわけですがそこに集まってきた人たちは色々な人たちがいます。もちろん名古屋で人狼をする客層というある種のカテゴリーに分類されますが、しかし少なくともそこにいるその様々な人たちを見ていて少し大げさかもしれませんが世の中こんなもんだよなあ、と思わされるのです。

ゲームをしていて仲間の人と反対方向の考え方を示して僕はリスクヘッジをしました(狼陣営で違う方向の考えを示すことによって片方が処刑されても片方が生き残るわけです)。しかしその僕の意図がうまく伝わらずゲームで一緒の陣営の人たちとゲームに勝利はしたものの、ゲーム後その仲間たちと気まずくなってしまいました。その後僕が「ごめんね」と声をかけても返事はありませんでした。

 

「ごめんね」と声をかけても返事がない、それに対して僕は憤ったり自分を責めたりはしませんでした。なぜなら世の中そんなものだと思うからです。何か1つの目的に向かう時必ず全てのことが上手くいくなんてことは無いと思います。もちろん全てが上手くいくこともあります。だけど世の中生きていて全てが上手くいくことなんてほとんど無いのです。

時にはものすごく嫌な思いもすることがあると思います。だけどそんなもんだよな、と思うのです。

 

僕の人生は一応まだまだ続きます。そしてきっとこの先も良いこともあれば悪いこともあると思います。嬉しいこともあれば悲しいこともあると思います。だけどものすごく当たり前のことなんですけどそれが人生なんですよね。

もし自分だけの心地よい、そしてなにもかも上手くいくコミュニティを作ったとしてそれが機能するのか僕には疑問です。きっとその中からまた考えの違う人が現れると思うのです。

そうではなくて繰り返しになりますがその自分と違う存在を自分の中に受け入れるということを大切にするべきだとそのとき思ったのでした。

昨日の人狼HOUSEでゲームをしながらそんなことをぼんやりと考えていました。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

最後に少し政治的なことを書きます。ここ最近性的マイノリティーの方たちについてよく話題になります。僕はその方たちの存在を否定する気には全くなりません。というか僕はそれがこの世の中だと思うからです。多様性の必要性だとかそういうことではなくて、現にそこに存在していて、それを誰にも否定することができないからです。

ましてやマジョリティーだからマイノリティーを否定してもいいなんてことには絶対にならないはずです。

だから僕ははっきり言ってそういった世の中に存在するマイノリティーの人たちが何か暴力行為を行ったりすることがない限り認める、というかなんともか思わないと思いました。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日になりますように。