コミュニティについて思うこと #194

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人間は環境の産物であると誰かが言いました。僕はまさにその通りだと思います。もちろん全てではないと思います。だけど半分は環境といっても過言ではない、そう思うのです。つまりどんなコミニティに属しているかがその人を決めるのです。

仮にその人がお金持ちのコミニティに属していると自然とその人もお金持ちになると思いますし、勉強をよくするコミニティに属していると自然と勉強をするようになると思います。その逆もまたあって犯罪することになんの抵抗を持たないコミニティに属しているとその人は犯罪を犯すことになんの抵抗を持つことがなくなるでしょう。

 

ではどんなコミニティに入るか慎重になるべきなのでしょうか。僕はそんな風には思いません。なぜならそのコミニティがどんなコミニティなのかなんて外からはわからないからです。そうではなくてもっと簡単にコミニティを抜けたり入ったりすることが大切なことなのではないでしょうか。そして今の世の中はそれが簡単にできると思うのです。選択肢はたくさんあります。お金持ちのグループにしたってこの世の中にたったひとつというわけではないのです。たくさんあります。自分の肌に合わない、だけどこういった属性のグループに入りたいという希望をもっているならばどんどん探せばいいと思うのです。

 

今の世の中のコミニティで一番の問題はコミニティを簡単に変えられないコミニティなのではないでしょうか。どうですか想像できますか。

学校とか本当にこまりますよね。いじめにあっても簡単にコミニティを変えられないことはよくあります。一見変えているように見えても全く問題の解決になっていないなんてことも往々にしてあると思います。もっと学校のクラスを流動的にすればいじめなんて流行らないと思うのですが無理なのでしょうかね。いじめる方もすぐに逃げられるから意味ないし、いじめられる方もとっととコミュニティを変えればいいわけです。またそんな世の中になっても尚いじめをしている人は益々ダサくなります。

 

あと日本独特の村社会もぼくは嫌いです。地域によってまだ依然として残り続けているのではないでしょうか。少し田舎に行くと息がつまりそうになる時があります。昔はそれで機能していたかもしれませんがこの現代だと必要ないことってたくさんありますよね。あんまり愚痴を言いたくないですけど未だにわが町では回覧板を一軒一軒手で回覧しています。とっとと無くして欲しいですよね。しかしこんなことを言ってしまうと村八分です。何もいいことはありません。不利益になるだけです。

となりのトトロ的な世界は一見ほのぼのして素晴らしいように思えますけど閉鎖的な村社会は本当に辟易します。しかしこれもまた簡単には変えられません。人々が都会に行く理由を彼ら彼女らが作っているのです。

 

今日このブログを読んでくださっている方は今どんなコミニティに属していますか。 

 

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

コミュニティについてはあまり真剣に悩まない方が良い気がします。“いつでも抜けられる”そういう選択肢を常に持っていることが大切だと思います。その方が精神衛生的にも良いですよね。

それでは今日もみなさまにとってより良い一日になりますように。

ではでは。

つづく。

 

 

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