比べるべきは #117

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なんであの人だけ、なんで何もしてないあの人だけ、そんな風にして自分と他人を比べることってありませんか。僕は随分と昔に自分と他人を比べることが無駄だと思ってそういったことをしないようにしてきました。しかしここ最近は少し他の人が羨ましいと思う心が芽生えつつあります。それはなぜなのでしょう。有り体に言ってしまうと以前の僕は何かを諦めていたのだと思います。その癖に理想だけは一丁前に高いわけです。理想は高いが一方で無力な自分も痛いほどに自覚をしている。そしてイソップ物語の狐のように高いところにある葡萄をあれは酸っぱいか取らなくていいや、と自分を慰めて諦めてしまったんですね。

 

だけども今は他人を羨ましいと思う。自分の中での進歩かもしれません。だけどもこれもまた危険な果実です。なぜならこの人を羨ましいと思う心が拗れた時、人は人を傷つけてしまうのです。そしてそんな心を誰かが見透かして手招きをしてます。社会の分断だ何んだと言っているアレですよね。羨ましいと思う心はコンプレックとなってそして僻んだ心が誰かの足を引っ張ってそして快感を得るわけです。他人不幸は蜜の味とはよく言ったものです。しかし蜜は栄養価があります。人を妬む心は蜜ではなくて、僕は中毒性のある薬だと思います。

 

まあそれはさて置き比べるべきは他人なのでしょうか。というかそもそも人間なんて生まれながらにして平等なのでしょうか。もちろん平等が理想で平等にすべきだと思います。国や社会は生まれた瞬間は平等であるようにリソースを割くべきだと思います(この辺り個人の立場によって意見が分かれると思います)。しかし現実は平等ではないですよね。生まれながらに金持ちや生まれながらに美男美女という人もいます。

だから他人と比べても仕方がないのです。見目麗しい人は麗しいですし、お金持ちの人はお金持ち、頭のいい人は頭がいいんです。そうではなくて比べるべきは昨日の自分です。

 

昨日の自分と比べて今日の自分はどうなのか比べるべきはそこなのではないでしょうか。少なくとも僕は他人と比べてもしょうがないなと思うようになりました。昨日の自分より今日の自分の方がイケいると思えばすごく満足だし、昨日の自分よりもダサければ反省モードです。そしてなにが良くなかったか考えてそして次の日糧にすればいいと思うのです。そう比べるべきは隣の他人ではなくて、昨日の自分なのです。

今回の記事は最後にミスチルの歌詞で締めたいと思います。たまにはいいですよね。

 

ー  簡単に平伏した あの日の誓い
思い出して歯痒くて 思わず叫ぶ

後悔の歌 甘えていた 鏡の中の男に今
復讐を誓う  ー

 

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感想(2件)

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

妬みや嫉妬は本当に良くないですよね。それらをちゃんと自分の向上心にすることができればいいのですがそれができないと誰かの他人のせいにしたり、誰かの足を引っ張って溜飲を下げるということをしてしまうと思うのです。そんなことにならないように昨日の自分と比べましょう。

それでは今日も良い一日を。

ではでは。

つづく。