商品を作るということ #87

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友人が商品を作っています。本当にすごいと思います。まずその商品を作る発想もすごいですし、あとちゃんとリスクを取っているというところもすごいと思います。これは変に持ち上げたり担いだりして馬鹿にしているわけではなくて本当にすごいと思うのです。なぜなら資本主義の社会というのは商品の集合でできているからです。その商品を作る能力のない人間に勤め人をするしかなく、そして勤め人しかする能力のない人に限ってその勤め先に文句を言うそんな日々を過ごすことになるからです。だからその友人の行動力も発想力も本当にすごいと思います。

 

商品を作り出すことができたら次はその商品をいかに売るかのフェーズに移っていきます。そしてここが本当に難しいところだと思います。なぜなら僕はその友人が作った商品を買いたいと思えなかったからです。友人の僕にでさえ買いたいと思わせることができないということはいかに人にお金を使わせるということが難しいのかということだと思います。しかしそれとは別に僕はお金がもっともっと欲しいと思っててそれはなぜかというともっとお金を使いたいからです。ということは僕には僕で別の物が欲しいと思っているわけなのです。友人が作った商品がその商品を買いたいと思う人にうまく手にとってもらえるようにしなくてはいけないと思います。

 

その友人が作った商品がなんなのかは言いません。もしかしたら本かもしれないないし衣類かもしれません。しかし商品を作るということは当たり前ですけど競争です。競争相手にいかに勝つのか、それともその競争そのものをキャンセルする方法を探るのか色々考えなくてはいけません。商品を売るということはつまりそういうことでいかに買う人に気持ちよくお金を使わせるかということだと思うのです。その時に“ああ別の物にすれば良かった”と思われたら終わりなのです。次はありません。

 

僕が思うに商品とは労働力の塊だと思います。その商品の付加価値を高めるにはそこに携わる労働力も高付加価値のある労働力が求められるのだと思います。つまりその商品を作る人の発想力や技術力もまたその商品に乗っかってくると思うのです。だから作り手もまた学ばなければいけないのだと思いました。生意気なこと言ってすみません。しかし本当にそう思うのです。学んだ結果、競争力のある商品が生まれるだろうし競争力のあるサービスが生まれると思うのです。

学ばずに作った商品はそこら中に転がっていて、そして学んだ人が作った商品にどんどん駆逐されていくのだと思いました。

今日もブログを読んでいただきありがとうございました。

なんだかものすごく生意気なことを言っているかもしれません。だけどちゃんと思うことを書きました。そしてその思うことをこのブログを読んでくださっている方に共有できたらと思います。

それでは今日も良い一日を。

ではでは。

つづく。