人間ってこうやって保守化していくのかな #52

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最近Androidタブレットを買いました。四、五年前に買ったiPadminiが古くなって使うと熱を持つようになってしまったからです。僕としてはiPadに不満はなかったので引き続き新しいiPadを買おうと思っていました。しかしHUAWEIタブレットが非常に良いとの噂を聞き悩みます。HUAWEIAndroidです。どんな感じか少し不安でした。HUAWEIコスパが良いというのはその通りなのだと思います。きっと同程度のスペックでiPadを買おうとすると高くつくのだと思います。若干不安もありますが買ってみることにしました。

 

感想です。

まず処理が速い速いという言葉をよく聞いたのですが正直そんなに変わらなかったです。きっと本当は速いのでしょうけど僕のような凡人には分からなかったです。あと操作性は完全にiosの方が使いやすいです。しかしこれも次第にAndroidに慣れていけば問題ないのかもしれません。それにしてもiosの操作性って最初ものすごく戸惑った覚えがありますが慣れてしまうと今度は他には行けなくなってしまうんだと思いました。慣れって怖いですね。

Androidは外付けSDカードを入れられるのがいいですね。これはすごく便利。処理の速さは自分の知らないところできっと速いのだと思うし、まあそれならそれでいいと思いました。

 

しかし先ほども書きましたが操作性ってつくづく大切だと思いました。毎日使っているわけですから、そこにストレスを感じたら最悪なわけです。そしてそんな思いとは裏腹に、だんだん新しいものへの対応がめんどくさくなっている自分を感じて自分自身愕然としています。人はこうやって保守的になっていくのだと思いました。変わることがどんどん苦痛になっていきます。今回はタブレットだったわけですけど別の場面ではもしかしたら社会の変化にも耐えられなくなってくる、そんな時が来るのかもしれません。

 

国に住む人々が年老いてくるともう変わること自体が面倒だとか、そもそも変わることの意味を見出せなくなる、といった言葉を聞いたことがあります。それって確実に今の日本に巣食うマインドのような気がしました。

この目の前にある慣れ親しんできたiOSではなくAndroidタブレットを触って感じる戸惑いみたいなものが何か変わる時に広く感じるのであればそれはもう声を上げて“めんどくさい”という人が大勢いるのにも少し理解できると思いました。年老いた人たちは最初にあるこの“めんどくさい”というコストを払う理由が無いわけなんですよね。だって返ってくるリターンを得る前に人生を終えるかもしれないから。そうやってどんどん先送りにしていくわけなんです。そんなことをぼんやり考えました。

目の前にあるAndroidタブレットはまだまだ使い始めたばかりです。もしかしたらiPadに戻るかもしれないですけどまだまだしばらく使い続けようと思います。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

Android無事稼働しています。またいつか経過などをブログに書いていきたいです。

ではでは。

つづく。